現代ってどんな時代?
私たちの多くは現代を「当たり前」のように生きています。
「現代ってどんな時代?」そんなことを客観視することもなく生きている人も多いですよね。
でも例えば、50年後に、現在を振り返ると、その時代と比較することで、いろんな角度から現代の特徴に気づくことができるでしょう。この年数は50に限らず、100や200、あるいは逆に25などという数字に置き換えて分析することもできますね。
もしあなたが「50年後にはもう生きていない」と感じるなら、では50年前の時代を見ることで、「当たり前」と感じていた現在の環境にも、「一時的な特徴に過ぎないのだ」と見いだせるものがたくさんあるでしょう。
では現代とはどんな特徴をもっている時代でしょうか、いろんな角度からいろんな表現が可能だと思います。
特徴をいくつか、自力で思い浮かべてみる、それをトライしている時点で、意識は「覚醒」しているのですよね。
そうやって好奇心に従い、思いめぐらせてみるだけで、前回のテーマからの引き続きの探求材料になるのです。
いくつか例を挙げてみましょう。それぞれの項目について、より細かく考察・解説・説明されている情報(動画や記事)は溢れているので、ここでの説明はごく簡単に列挙します。
情報化時代
約50年前、日本では、「黒電話」というものが普及していました。固定電話の一種で、電話番号をひとつひとつ「ダイヤルを回す」という作業を経て繋げることで、相手を呼び出し、たいていの場合、各家庭の所定の場所で、立ったまま話す習慣が形成されていました。恋人同士の長電話で疲れを忘れて30分間立ちっぱなし状態を続け、後から高額な通話料請求金額に驚いたり、親に叱られ「時間制限」を設けられたり、ときには家族共用トイレのように「至急電話したい要件があるから、黒電話使用を交代して!」と家族から要求されたこともあったでしょう。「黒電話」にまつわる独特の文化が形成されていたのですね。それを「時代」と表現することもできるのです。
今や、通話は様変わりし、家族全員がそれぞれ一人用のスマートフォンを持ち、それぞれの部屋でソファーに座ったり、ベッドで横たわりながら通話したり、、通話中にトイレで用を済ませたり、或いはリアルタイムで通話中の顔の様子を見せ合う「テレビ電話」として使ったり、通話中に他の人と「ショートメッセージ」を交換したり、屋外でジョギングをしながら通話したりも行われています。
このような「通話」に関する劇的な変化が起きただけでなく、インターネットの普及により、以前のような「TV・新聞・書籍」といった限られた媒体/メディアから片方向だけの情報入手手段も様変わりし、私のように「個人による情報発信者」も激増し、「情報ビジネス」が急拡大し、またそれにより「炎上事件」や「炎上商法」、「不正選挙」や「トレンド操作」、「情報メディア利用による洗脳戦略」「サイバー攻撃」なども起こり、ときには結婚相手に出会えたり、ときには自殺者をつくり、ときには国家単位での戦争に使われたりしています。
少子化時代
私の親の世代が幼少期を過ごす頃、70年から80年前という時代は、兄弟(その親から見れば子供)が7人、8人いる家庭も多く、異常な問題として社会で扱われることもありませんでした。それだけの人数を生み、育てる家庭では、死産や奇形、大なり小なりの身体障碍も現代ほど深刻に敬遠されたり、冷遇されることもありませんでした。子育てに必要な「お金」も多くなく、平均学歴が低かった(高校卒業前後が多い)ために子育てに必要な「お金への依存度が低かった」時代とも言えます。
それが、私の世代では、一般的な過程での子供の人数は平均すると3名程度になり、今やその平均値は2を下回るような状況を「普通である」というふうに、価値観も変化しています。
子育てに必要なお金の比重は時代が進むにつれて高まり、その大きな要因となる「必要な学歴」も高まっています。今では「大学卒業」では採用しない企業も増え、大学院卒業や、海外留学経験、或いは在学中に国家資格取得済という経歴などを求める企業が増えています。
石油消費時代(オイル社会)
物質文明には遅れがちである反面、精神文明の発達していた昔の日本のような地域では、「麻文化」が深く根ざしており、石油/オイルを必要としない時代がありましたが、石油/オイルによる人類コントロール/支配を望む勢力により、その文化は禁止・破壊され、石油/オイルの購入・消費を強要され、思想までも支配/洗脳されることにより、生活のあらゆる分野で石油製品を消費する時代となっています。幸か不幸か、それを当たり前と勘違いしている人々は「疑問を抱く」ことなく生活しています。
「答えは1つ」時代
上に挙げた3つの時代とも関連があるのですが、「答えは1つ」という価値観を押し付けられ、支配/洗脳されている時代だとも言えます。
貨幣/Money製造の権利を奪い、それに服従しない人たちを抹殺し、「貨幣/Money(より広い意味では[富・名声・権力])が人間の価値を測る1つの方法だ」と刷り込みます。刷り込みのための報道や教育を貨幣/Moneyを使って買収したり、設立したりします。それに従順な人材に高学歴を与え、より多くの貨幣/Moneyを与えます。「納税の義務」という「答えは1つ」を捏造し、納税をさせます。現在、世界の財産の大半を所有している人たちは「納税の義務」を負っていません。貨幣/Moneyを利用して国家と契約し「納税義務免除特権」を得ています。彼らが居住するエリア(シティなど)には国家の国王や女王ですら許可なく進入することができないのです。
簡単に表現するなら「世界の富の10%しか創造できない世界の人口の90%を占める人たちにだけ納税させている」のです。「富の90%を創造している人口10%を占める人たちは納税していない」のです。それなのに貨幣/Moneyで買収した報道メディアを使って「納税の義務」を布教・洗脳しているのです。それを真に受けて人口の90%を占める人たち同士で、「義務だ!」、「脱税だ!」、「誰が悪い!」、「責任感がない!」と罵声を浴びせ合って、精神的に拘束し合っているのですよ。
現代の滑稽な演劇の主役になりたいのですか?脇役でもより目立つ、よりよい役者と呼ばれたいのですか?
未来人、あなたの孫の孫たちは、この時代を振り返り、どんな時代だったと評価するでしょうか。
義務教育という名の「答えは1つ」を設立・運営して、「答えは1つ」の教材を提供し、「答えは1つ、正解は?」を導き出すトレーニングを繰り返し、「答えは1つ」「[富・名声・権力]こそがステータスという1つの価値観」に慣らされた人材を育成し、重要ポストにつけます。
ですから、「大災害後の復興」、「世界金融危機」、「疫病蔓延」などの「正解はひとつではない」という問題に直面した時、対応力の極端な低さを露呈してしまいます。そもそもそれらの災害は全て、貨幣/Moneyを製造し、利息付きで国家に貸し出し、教育という名のマインドコントロール/洗脳を支配し、納税の義務を負わない特権を得ている人たちが意図的に引き起こしていることだったりします。
「天災は人災」引き起こすのも人であり、それに洗脳コントロールされたまま無責任に生きていて被害に遭うのも人なのです。さらに「覚醒」を進めて探求していくと、引き起こしている人は「3次元地球人ではない、4次元的な人型ではない人」、「人型以外の人のなかにもポジティブな勢力とネガティブな勢力がいる」ことなどに気づいていけます。
成功追求時代
ここまでで、「現代はどんな時代?」について、ネット上にすでに溢れている表現を簡単に挙げました。
「現代はどんな時代?」、その答えは「1つ」ではないし、私が挙げた以外にたくさんあっていいのです。
私が今回の記事で取り上げて強調したいもうひとつの表現は、ネット上に溢れている内容と逆方向の内容にあたるかと思います。
それは、以下の表現です。
前回の記事のテーマ「覚醒」が進んでいないと、多くの低いレベルの覚醒の段階を経ている人でも、まだ「睡眠状態」にいるなら、気づいていないことかも知れません。
現代は「成功追求時代」という短命なバイブレーション/波動の低い時代にあります。
3S政策
「3S政策」という言葉やその意味を知っている人は、たくさんいて、知っている人口は激増している時代です。
wikiでは「政治」に関心を向けさせない目的、と書かれていますが、小さな意味での「政治」ではありません。
人類がつくる文明、「物質文明」か他の何かか?という大きなテーマについて「覚醒」しないように明確な目的を持って実施されている政策・戦略なのです。
3S政策
screen(スクリーン=映像鑑賞)、sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、sex(セックス=性欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策とされている。
アスリートたちの遺言
「3S政策」信者であるアスリートたちの人生を通し、「成功追求時代」を振り返ってみましょう。(外部記事添付)
これは、「憖っか/なまじっか」3S政策のひとつであるスポーツの分野で、幼少期から「小さな成功」体験を積み重ね、精神的に[睡眠状態]のまま、「成功追求時代」に踊らされ、夢を見させられ、命がけで努力を注ぎ込み、「富・名声・権力」という「1つの答え」に向かって邁進した人たちが、本人の持つ魂の力により、気づかされた例のひとつです。
憖っか/なまじっか
なまじっかとは、中途半端なさま。いい加減。無理にしようとするさま。むしろしない方が良いさま。なまじ。
こういった人たちは、意外にも多いですよね。プロスポーツの世界だけでなく、アマチュアの世界、「1つの答え」洗脳機関である学校の世界でも、「憖っか/なまじっか」スポーツでの結果・成績が他の人より少し優秀であったために、その道、スポーツ実績を利用した進学、スポーツ実績や自信を活用した特異な執着・真っ直ぐではない愛を伴った「子育て」に使ってしまっていたりする人は、意外にも多いですよね。
そしてまた、「成功するための方法」が様々な形で商品化され、売られ、買う人も後を絶たない時代ですね。
カルト宗教の被害者と加害者
「家族が親戚が、友人がオリンピックで活躍する!」「オリンピックを歓迎しないなんて非国民!」といって大衆を煽り、「睡眠状態」を継続させ、オリンピック終了後に蓋を開けてみれば汚職まみれ、一時の短命な栄光に酔いしれたアスリートたちもそれぞれのタイミングで壁にぶつかり、悩み、苦しみます、被害者といってもいいでしょう。
一方では、成功への階段を登る姿を見せ、次世代の被害者製造、カルト宗教の普及に協力してしまっているという観点から、加害者でもあると言えますね。
悩み苦しむ理由は、完全に洗脳されていない魂/スピリットが被害と加害の狭間をさ迷う肉体に向かってサインを送っているからと見ることもできます。
まだ「睡眠状態」にあるときは「本当の自分を隠して強い人を演じている」ことにも気づかないのです、気づきにくいのです。時代に洗脳されていることに気づかないのです。
本人が「鬱」になるならまだしも、子供や孫を「鬱」にさせる教育や子育て方針、そしてそれが伝統や文化となり、短命で特異な時代を形成していくのです。
大きく俯瞰したり、異なった角度から冷静に分析したりすることで、小さな「覚醒」を真っ直ぐに重ねていくことで、より大きな気づき・覚醒に繋がるのです。
あなたの潜在力はもっと強力で、遥かに価値の高い「素晴らしい魂/スピリット」を持っているのです!
「富・名声・権力」やそれに直結するかのように仕組まれ・粉飾された「成功」などという[幻想/イリュージョン]、そんな価値の無いもののためなんかに、
そうは言っても、現代はまだまだ「成功追求時代」は続きます。
それぞれのスピリットは「いつ、どんな状況に出遭い」、そのことに気づくか、覚醒するか、自ら決めて生まれてきたのです。
気づくことはラッキーでもありません、気づくに至るまでに関わった全ての人たちの愛(ポジティブ・ネガティブ全てを含む)によるものであり、気づく感性は「自らスピリット/魂」磨くことでしか高まることはないのです。お金で買うこともできないのです。成功を追求していては気づきにくいのです。
そして、活用すべきなのは「テクニック・方法・ノウハウ」でもないのです。
それらは全て「ビジネスで成功」、「成功ビジネス」なのですよ!
「策士策に溺れる」という言葉もあります。
テクニック・ノウハウを求め、頼っていては自己破壊の道を進み、睡眠状態となるため「大切な気づき・覚醒」が入ってこない。
今回取り上げたスポーツの分野以外にも、あらゆる分野に「成功追求」は浸透しています。
あなたは、あなたの家族は、今「成功するために」生きていますか?勉強やトレーニングしていますか?
より成功しやすい「テクニック・方法・ノウハウ」、そんな参考情報を購入したいと探していますか?
「成功のために?」「より成功しやすい方法?より楽に成功するノウハウのために?」
「願望実現の方法教えます!」とか、
あなたの「願望」は「成功追求時代の産物」ですか?成功すれば幸せが手に入ると信じていますか?
ほんとうは何が望みですか?
そこにビッグホワイ/Big Why(大きな疑問)を自分で投げかけてみませんか?
もちろん、答えを出すのはあなた自身でいいのですよ!他人に依存しなくていいのですよ!
セレンディピティ
私も、幼少時代からスポーツの分野で、同級生と比べて優秀なほうでした。
小学校時代の学年毎のリレー選手選抜にも毎年選ばれ、選抜体育大会にも出場し、中学・高校で入部した体育系の部活動で、低学年のときには、先輩である高学年の部員だけでレギュラー選手が構成されているなかでも、監督には「次世代選手育成」という「成功目的」があるために、補欠部員から優秀な将来の人材を選抜して、順番に補欠出場させるのが慣習となっています。私は中学・高校ともに同級生のなかで最も早く監督から補欠出場を指名されるほどでした。
そう、「憖っか/なまじっか」スポーツ面で「優秀」だったわけです。
でも、私はスポーツの道には進みませんでした。「そっちは自分が進むべき道ではない気がする」という微かな「覚醒」、インスピレーションを得ていたからです。
私は今「どんなライフスタイルを送っているのだろう?」と最近考え始めたときに、(それはリラックスしながらか漠然と思い)、「偶然にも」この「セレンディピティ」という言葉に辿り着き、「これが近い表現だな」と感じました。同時に、この言葉との出会いに「幸福感」を感じました。
この感覚も大切だと思います。私は「成功」のために探したのでもなく、「この言葉との出会いをきっかけに成功できるかな」と感じたわけではないのです。
リラックスしながら、「幸せのなかで」探し発見したこの「偶然の出会い」に対して、単純に「より幸福」と感じたのです。
セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
語の起源と意味
「serendipity」という言葉は、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポールが1754年に生み出した造語であり、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子 (The Three Princes of Serendip)』という童話にちなんだものである。セレンディップとはセイロン島、現在のスリランカのことであるから、すなわち、題名は「スリランカの3人の王子」という意味である。ウォルポールがこの言葉を初めて用いたのは、友人に宛てた書簡において、自分がしたちょっとした発見について説明しているくだりにおいてであり、その書簡の原文も知られている。
この私の発見は、私に言わせればまさに「セレンディピティ」です。このセレンディピティという言葉は、とても表現力に満ちた言葉です。この言葉を理解していただくには、へたに語の定義などするよりも、その物語を引用したほうがずっとよいでしょう。かつて私は『セレンディップの3人の王子』という童話を読んだことがあるのですが、そのお話において、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。たとえば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが歩いていたことを発見します。なぜ分かったかというと、道の左側の草だけが食べられていたためなのです。さあ、これで「セレンディピティ」がどのようなものか理解していただけたでしょう?
セレンディピティの成功例
上に貼りました「セレンディピティ」のwiki説明を下のほうまで読み進めていくと、ビジネスでの成功例などがズラッと並んでいます。
私が今回の記事で強調したいのは、「成功追求時代」はここにまで進出しているということです。
成功するためにセレンディピティを応用したり、そのスキルをトレーニングしたり、そうすることが「より幸福」につながるわけではありません。「覚醒」
あくまでも、成功は追求せずに、リラックスしながら何かについて、僅かに期待するだけで、ときにはそれを忘れたころに、偶然に訪れてくる気づき・覚醒・悟りを感じ、成功の可能性を考えるのではなく、単純に幸福感を味わえるその感性と覚醒が大切です。そんな生き方が、私が気づいたら送っている「ライフスタイル」なのです。
セレンディピティをブロックしない
例えば私が、ふだん注意している生活習慣/ライフスタイルとして以下のようなことがあります。
SNSなどに内蔵されている「メールやメッセージ着信を知らせる音・振動機能」を使わない。「偶然の発見」「インスピレーションの受信」を妨げる「仕組まれたツール・機能」だと感じているからです。「覚醒」
情報やインスピレーションは、あくまでも「受け身・他人依存」しないことが大切です。
そして「自分で入手する」のだけれど、
- 成功を追求しない
- Cool&Warmの精神状態「僅かに探し求めるが(Cool)」、「得られなくてもすでに充分に幸せ(Warm)」
- 気づき・覚醒・悟り・入手後の感覚に「成功」の文字が無い・浮かばない、単純で純粋な「より幸せ(Cool&Warm)」
このようなことを心がけています。
それは宇宙の法則:「引き寄せの法則」や「完璧や潔癖は存在しない、ネガティブとポジティブは混在」といった法則を、自然に、力まずリラックスしながら活用・体現している感覚です。
かなり表現・説明することは難しいことだとも感じていますし、加えてまだ「成功追求時代」の真っただ中に新たなライフスタイルを提唱しても、受け入れがたい印象は拭いきれないとも感じています。
少し共感を持てた方や、興味を持てた方は、最上部に貼った前回記事や関連の過去記事などを参考に、今後のライフスタイルを考えるヒントとしてマイペースで参考にしてみてはいかがでしょうか。
「セレンディピティライフ」が次世代の斬新なライフスタイルとして、近い将来多くの人に採用されるのか?
そんな「成功」とか「失敗」とか、そんなバイブレーションの低い、価値の低いことを考えなくてもいいのですよ!
ところで、時代に取り残され、忘れ去られようとしている「メリーゴーランド」って、
「偶然の発見」を体験できる素敵な遊具ですよね?そう感じませんか?
セレンディピティライフ|人生のメリーゴーランド
「この記事に合うMusicはないかな?」
そう僅かに探し求めたところ、この曲に辿り着けたのです。
気楽にメリーゴーランドに乗って遊ぶような人生、セレンディピティライフ、それも幸せですね!
【Music】Merry go round of Life/人生のメリーゴーランド🎧
Räfmät for Better Place!