二極化|ノンデュアリティ(非二元性) と関連する概念
現代社会では「二極化」という言葉をよく耳にします。
ビジネスや政治、そしてスピリチュアルの世界でも、その分野について少し学んでいる人たちが、少し学んでいるが故にプライドを持ち、「二極化」という言葉を使って「学んでいる人たち」と「学んでいない人たち」を分けてしまっています。
そこにはきっと優越感や安心感があるのでしょうが、ノンデュアリティ(非二元性)という概念の角度から見ると、その「二極化を使う人たち」は、「二極化に囚われているひとたち」になり、とても悲しい現象です。
人類は今、この「二極化」という言葉に囚われて、振り回されているにもかかわらず、そのことに気づいていない状況に陥っている感じがします。
3次元世界と二極化
3次元世界 の目的
過去記事で物質世界や3次元世界が創られた歴史を紹介しましたが、魂の根源(プライムクリエイター)は「経験と学び」のために、物質世界をつくり、そこには様々な対極する概念(善と悪、光と闇、優と劣など)を設定しました。
それは「経験と学び」のために設定されたものであり、お互いに戦う(葛藤させる)ためではありません。
けれど、人間は次第に、魂の存在を忘れ、肉体が自分だと認識するようになり、対極のものを見て、対立するようになります。
言い換えると、そこから経験し学ぶことを忘れ、対立に囚われてしまいます。
人類のなかには、魂(スピリチュアル)の存在に気づき始めたひとたちが、スピリチュアルの知識を吸収し、魂の成長を実践していますが、アセンションについても、「アセンションできる人」と「アセンションできない人」に二極化する、と教えたり、そう信じ込んだりする人がいます。これらの人たちが、最も残念なひとたちです。
スピリチュアルの存在に気づき、学び始めたにもかかわらず、「二極化」という「学びの課程」で止まってしまっているわけです。
3次元世界で蔓延る追加要素
これらに加えて、人類を支配しようとする勢力は、「分断工作」を使って、人類を分断させ、「二極化」させて、 「全ては経験と学び」 であるという魂の成長から人類の意識を切り離し、高次元へ成長しないように様々な政策を行っています。
この工作に従うことが「勝者」「優秀な人材」と勘違いして生きている人たちも多くいますね。
これに気づかないと、人生の目的も見誤ってしまいます。
アセンションは二極化ではなく、フライト(飛行)待ち時間内の準備状態に過ぎない
スピリチュアルの世界で、「アセンションの時期が近づくとき、人類は二極化する」と言われてしまっています。
これはスピリチュアルの世界を学ぶ人たちへ大きな誤解を招く危険なことだと、私は感じています。
それを「二極化」と言っているひとは ノンデュアリティ (非二元性) をまだ理解していないことになります。
アセンションの準備が、今できている人と、まだできていない人がいますが、それは「二極化」ではありません。
旅客飛行機のフライト(出発)や旅客列車の発車には、出発予定時刻がありますね。
アセンションの準備がすでにできている人は、その出発時刻よりはるか前に準備ができているにすぎません。
実際に乗り物に登場して着席しているわけではないので、準備ができていても、継続して日常生活は送れます。
今、準備ができていない人を「出発できない人」と判断する必要はなく、「出発時刻に間に合いさえすれば、準備はまだできていなくても、アセンションできる」のです。「駆け込み搭乗も可能」であり、むしろ駆け込みの比率のほうが圧倒的に高いのです。なぜならそれは「未知のフライト」であり、切羽詰まった状況が現実化しなければ、気づきにくいのも自然なことだからです。
出発時刻直前になっても、アセンションを選択しない人もいますが、ほんの少しです。その人たちは3次元世界での経験と学びがまだ必要で、「今回はアセンションをしない」と生前に決めて来ている人たちです。
アセンションをできることだけが幸せではなく、今回アセンションを選択しない人にとっては、アセンションをしないことが幸せなのです。
ごく少数の人たちがアセンションをしない選択をしても、それは「二極化」ではありません。「次とかその次の便に乗る」ということであり、「対極の方向へ旅立つ人」ではありません。
「アセンションをする人としない人で二極化」と言っている人たちは、過去記事「阿修羅」について理解するといいと思います。
どんな人たちにも、いつでも魂の成長機会が与えられているのです。
「二極化」という言葉で安易に他の人に判決を下すことは必要ないのです。そのことも「経験と学び」の課程のひとつです。
ノンデュアリティ (非二元性)
ノンデュアリティという概念は、「二元性でない概念」です。
比較的よく説明できているのはヒンドゥー教の「不二一元論」です。ヒンドゥー教だけが正しいと言っているのではなく、釈迦も同様のことを語っていますし、 ヒンドゥー教 はその一例というにすぎません。
ノンデュアリティ(不二一元論)-wiki
インド哲学・ヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派において、8世紀のシャンカラに始まるヴェーダンタ学派の学説・哲学的立場である。これはヴェーダンタ学派における最有力の学説となった。不二一元論は、ウパニシャッドの梵我一如思想を徹底したものであり、ブラフマンのみが実在するという説である。
ブラフマン-wiki
ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根理。自己の中心であるアートマンは、ブラフマンと同一(等価)であるとされる(梵我一如)。
つまり、「宇宙に善悪は無い」「全ては経験と学び」であるということですが、これを理解することはたいへん難しいことです。
理解しにくい原因は「エゴ(自我)」であり、それは肉体(物質)があるからです。肉体を纏いながら、そのことに気づくことが、人生の学びのひとつでもあります。
全てを受け入れ、経験し、学び、成長する
【Music】Climb Every Mountain/すべての山に登れ 🎧
人生をどう生きるかは自由です!
様々な可能性について知り、自分の感性に合う方向へ進みましょう!
Räfmät for Better Place..(礼!
コメント
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