死|肉体生活からの旅立ち

人が生きていくなかで、最も大きな課題は[死]ではないでしょうか。

言い方を変えると、[死]を恐れ、その恐怖に振り回され、無意識または故意に他人や地球を傷つけていることが多くないでしょうか、冷静に振り返らなければ、気づくことすら難しいでしょう。

そして[死]に対する考え方は、国や人によって様々ですし、考え方が変わる頻度も高いように見えます。

この[死]について、私の考えを述べたいと思います。

目次

死の解釈に正解はある?

「[死]をどう捉えるべきか」という問題に対して、誰かが他の人に強制してよいような[正解]はないと思います。

私自身の[死]の捉え方については、過去記事にて表明しており、今も変わっていませんし、こういった言論系の情報発信する人は、「死を恐れているのかどうか」を先に表明すべきだとの考えもかわっていません。けれど、他の人が[死]をどう捉えるかは自由だと思っています。闇雲に死を怖がるのではなく、研究し、捉え方を持っておくほうがいいと思います、それは変更してもいいと思っています。

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死と向き合う次元(波動・波長)によって大きく異なる

[死]について、医師、看護師、臨死体験者、霊視者、その他スピリチュアリストと様々な立場の情報は氾濫しています。

私は、今世では霊能力を持たずに生きることを選択した、そういう記憶が微かに残っているスピリチュアリストの一人に属すると思います。スピリチュアリストの中にもいくつかの種類があり、私はインディゴチルドレンとして[死]を捉えています。

ですから、5次元的な捉え方をしているので、私にとっての[死]は、「低い波動を持ち、自身の本来の能力を発揮できない3次元の乗り物(肉体)を卒業できる、喜んで迎えられる旅立ち(使命からの帰還)」でしかありません。死の時期についても「定めのままに」という気楽さで捉えています。もちろん今は自殺を考えていませんし、今後も考えないでしょう。

ですが、3次元的にしか捉えられないという低い波動の落とし穴に嵌っている人たちにとって、[死]は大変難解なテーマなのだろうと想像します。過去の私がそうだったように。過去に私は2度自殺を考えてました、実行や未遂は一度もありません。

こういうわけで、すでに5次元的な死の捉え方ができている人にとって、この記事はこれ以上見る価値もないと考えます。

以下は、3次元的考えからまだ抜け出せない人に向けての記事になります。

そして、3次元的発想の方への私からの第一のアドバイスは「自由ですけど、できるのであれば、5次元的発想をすれば、死など[旅立ち]にしか過ぎない軽いイベントだと、気楽に生きて死んで行けますよ」ということです。

以下は第二位以降のアドバイスというか、選択肢を増やすヒントとなります。どれをお勧めするものでもありません。

生も死もアート(芸術)

アート(芸術)として「生と死をどう描くか」、それは死んで肉体を離れてからもずっと続く自由テーマであり、今世でそれを描くのも、私は人の自由だと思います。(自殺を美化したり奨励したりするものではなく、それを超越した考えです)

生き方としての死に方

3次元的[死]の捉え方のなかでも、私が評価するアート(芸術)を表現したひとたちがいます。

西部邁-wiki

1939年昭和14年〉3月15日 – 2018年平成30年〉1月21日)は、日本評論家経済学者保守思想家東京大学教養学部教授、表現者顧問を歴任。
北海道出身。東大入学後にブントのメンバーとなり、東大自治会委員長として安保闘争に参加した。安保闘争から離脱後は東大大学院で近代経済学を専攻し、横浜国立大学助教授、東大助教授、英米への留学を経て東大教授となる。1980年代から保守の論客として活躍し、東大駒場騒動以後は在野の評論家として評論活動を行った。2018年、自殺

私は決して「自殺」を美化するつもりも、奨励するつもりもありません。

5次元的に死を恐れていないので、すでに、狂人に属するひとりとして、西部氏の生き方と死に方はアートを貫くためだったと評価しています。それは高でも低でもない評価であり、生きる自由と死に方を選ぶ自由意志を尊重するものです。

私は西部氏の思想が保守であるか否かについて、一切影響を受けていませんし、それには関心がありません。単に生き方・死に方についてニュートラル(中立的)に見ています。

西部氏は30年近くの期間、頭脳明晰にして、冷静に丹念に自殺について考えた人物です。残される娘にも遺書を残し、警察宛にも「すみません、お手を煩わせます」という気遣いと配慮が記されていた遺書を残しています。

思想家、評論家、作家というアーティスト(芸術家)としての才能を高次元から授かり、輝かせた人にとって、頭脳明晰さに衰えが出る肉体などは、耐えがたい[乗り物]に感じるのだと、5次元的感覚の私には見えます。その次元には3次元的な法律・慣習・治安・評価基準などは通用しないものと、私は感じます。

わが娘Sよ

僕は、穏やかな自然死などは望むべくもないので、また…おける無益な孤独と無効の治療を忌むものですから、君にこれ以上の迷惑をかけたくないので、ここに自分の「生き方としての死に方」たる自裁死を選ぶことにしました。そうした考え方については僕の書物群に何度も説明している通りなので、君は、たとえ同意されなくても、僕の気持ちは分かってくれると信じております。出来うれば、僕のことは早めに失念して、楽々悠々たる人生を送って下さい。お母さんへの世話のことを含め、君の両親への助力に深く感謝しております。B君〔息子〕、Cさん〔息子の嫁〕と仲良くやって下さい。

なお、僕のことにかんし葬儀や墓標などは一切不要ですのでご承知おき下さい。ただし、僕の知人や友人から「飲食の催し」などの誘いがあれば受けてやって下さい。

最後にもう一度、有難う、左様なら

平成30年1月21日 西部邁

風に吹かれたとき、すごく輝いたかも

ZARD-坂井泉水

私は、この投稿者、霊視者のことを妄信してもいません、崇拝してもいません。

また、ZARDや坂井さんのファンでもありませんし、坂井さんの死後、坂井さんを想って泣いたこともありません。

中立的な立場で評価して、生き方・死に方のサンプル(例)として取り上げています。

坂井さんは、モデル・歌手・作詞家として活躍し、癌との闘病生活の末、(霊視者実況によると)芸術的な最後を選んだ。

自殺はやめるべきか

自殺するとどうなるか、これもたくさんの情報がネット上に出回っています。

そのなかで、私も共感する(正しいと信じるということではない、そういう3次元思考ではなく、5次元的共感)する内容

  • 自殺者は自然死や他殺で命を落とした人と違い、自殺地点から一定期間移動することも許可されない、その期間は一説には本来の寿命が来るまで。残り寿命が1年の場合や50年の場合で異なる。
  • 上の期間中ずっと「後悔」する。
  • 後悔、反省の強さによって、上の期間短縮措置などもある。
  • 人によっては、死んだことに気づかない。気づくまで何度も自殺方法を繰り返す。
  • 何年間「反省期間」を設定されるかは、生前の貢献度なども総合的に評価のあと、設定される。

私は、5次元的狂人の意見として、自殺を勧めることもしません、「やめるべき」だと言うこともしません。私は自殺者に自殺を止めさせて、その人を幸せにする保証はできませんから。それを一度経験して何億年後に霊的に急成長する可能性もあります。世界にも宇宙にも善悪はありません、全ては学びと経験です。自殺が例外とは思いません。

参考)上の動画と同じ投稿者による他の自殺者のその後の例(俳優のフルネームは書きません、動画も貼りません。興味ある方は検索し視聴してください)

  • (男優)三浦:深く後悔している態度が良いので、反省期間短縮見込みが高い
  • (女優)竹内:後悔や反省がまだ本格的でない。

自殺について、もうひとつ私からアドバイスできること

乗り越えられない試練は与えられない!

人は、生前にどんな人生を送るか、試練はどんなものがいくつか設定して来ています。

乗り越えられない試練は設定されません。

ただし、ドラッグ(薬物)や病院から正規に勧められた薬品の中に、自殺誘発の麻薬が故意に含まれているのもあります。

私の知人は、鬱病の薬を常用し、自殺しています。鬱病の薬の成分には、麻薬と同等のものもあります。その場合は、この世を離れたときには、自殺扱いでなく、他殺・社会によって殺された扱いをしてもらえます。

薬の製造や提供、またはその宣伝に、人を騙す内容を含めたなどに関与した人は、この世を離れたときに「殺人や殺人未遂に関わった、どの程度知っていて、確信的に、継続的に行ったか」を公正に裁かれます。

でも常用する前に、そういった知識をつけて、誤飲や中毒にならないようにすることは、人生を大切にするうえで有効です。

魂の寿命は永遠

最後に、他の記事で何度も言っていることと同じになりますが、私の考えは5次元的、魂の寿命は永遠であり、魂進化・成長の旅はたいへんな長時間の旅です。

それを3次元的にしか解釈できなくなっている人類は[死]を恐れすぎです。死を恐れるだけならそれは人の自由です。

でも、[死]を恐れることで、他人に支配され、他人を傷つけ、地球を傷つけていることに目を向けないのは「自由」と済ましてよいことの範囲を超えていると思います。

他人の指示や制止に従う時間を減らし、他人のやることを真似したり、周囲のやり方に流されたりせずに、自分の意志で自由に、マイペースで、自分の魂の長い長い人生を、思いのままにアートとして描いていきましょう!その先にこそ、本当に自分に合った「学びと経験」があるはずですよね!焦ることないと思いますよ!

死んで生きる

【Music】All of the Stars 🎧

Räfmät for Better Place..(礼!

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